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近日,电视剧《半泽直树》在火热播放中,就让我们一起来学习学习有关银行的一些术语吧~~
この間、「半沢直樹」というドラマは放送されている。ということで、銀行についての用語を学びましょう~~
あおい中国語教室 021-62455501
shòu rén yǐ yú bù rú shòu rén yǐ yú
授 人 以 鱼 不 如 授 人 以 渔
中国有句古话叫“授人以鱼不如授人以渔”,这句话出自古代道家学派著作——《老子》,意思是传授给人知识,不如传授给人学习知识的方法。鱼是目的,钓鱼是手段,一条鱼只能解决一时的饥饿,却无法解决长时间的饥饿,如果想永远有鱼吃,那就要学会钓鱼的方法。
中国の歴史では一つの諺がある。「人に魚をやるより取り方法を教えること」、道家の著作『老子』から出てきた。知識を教えてあげるより、知識の取り方法を教えてあげたほうがいいという意味だ。魚は目的である一方、漁は方法である。魚は一時の空腹しか解決できないため、永遠に食べたいなら、漁を学んだほうがいい。
另有一种说法,法国有个叫亨利的青年,从小在福利院长大,身材矮小,长得也不漂亮,讲话又带有浓重的口音,所以一直很自卑,就连最普通的工作也不敢去应聘。有一天,他的朋友告诉他,在收音机里听到一则消息,说是拿破仑丢失了一个孙子,而亨利和这些条件分毫不差!亨利马上振奋了精神,凭着认为是拿破仑的孙子的自信,凭着要成为像“爷爷”那样的伟人的信念,多年后,亨利成了一家公司的总裁,后来他找人查证,发现自己并不是拿破仑孙子,但是这已经不重要了。“授人以鱼不如授人以渔”,也表示没有直接给予物质,而是交以方法或某种信念。
もう一つの話がある。昔、ヘンリーというフランス人がいる。この人は小さいころから福祉にいて、低くて、きれいな人じゃなくて、なまりもつよくて、卑屈を感じていた。一番普通な仕事まで引き受ける勇気もなかったそうだ。ある日、友達から「ナポレオンの一人の孫は行方不明になって、ヘンリーのすべての条件はこの孫のために備えられていたようで」と言われたこそ、「僕はナポレオンの孫、ナポレオンみたいな立派な男になりたいなあ」とちゃんと自分に自信を与えた。何年後、ヘンリーはある大手商社の取締役になってしまった。自分の本当の出身も証明されて、ナポレオンの孫ではない。だが、もうどっちでもよいではないだろうか。「人に魚をやるより取り方法を教えること」この一言も、直接に物質をやるでなく、ある方法や信念を与えてやると言う意味だ。
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战国时,蔺相如因完璧归赵、渑池赴会有功,被封为赵国丞相。上将军廉颇居功自傲,屡次向蔺相如寻衅。蔺相如以国事为重,始终忍让。后经上大夫虞卿劝解,廉颇愧悔,至相府负荆请罪,将相和好,同心辅国。
戦国時代、藺相如は完璧帰趙・渑池赴会の功労により趙の宰相に任じられた。功を誇る将軍廉頗は何度となく藺相如に難癖をつけたが、蔺相如は国を思いこれに堪えていた。後に上大夫虞卿の仲裁を受けた廉頗は自らを恥じて後悔し、相府に出向き荊を負い贖罪を請い出た。これにより二人は和解し、ともに国事を補佐した。
负荆请罪成语,背着荆杖,表示服罪,向当事人请罪,形容主动向人认错、道歉,给自己严厉责罚。
<成> イバラの杖を背負って自分の罪をわびる.心から過ちを認めて謝罪するたとえ.“荆”は昔のむち打ちの刑具.
例: 这件事儿都是我的错,今天我是专程来负荆请罪的。
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A 大胜 B VS A 大败 B
例: 昨天的比赛上海队大胜北京队。
昨天的篮球比赛上海队打败北京队。
上海队?北京队?谁赢了?
在学习汉语的时候,这两个单词会令不少外国朋友头疼不已。
中国語の中で、「大胜」と「大败」、この二つの単語がすごく困るものだと外国人の学生からよく そう言われている。
虽然意思相同,但是在语法上应该怎么解释呢?
意味は同じだが、語彙上はどう説明したらよいかなあ。
大胜:主动态,强调的是A战胜了B,语气上侧重于A的胜利。
「 大胜」は主動態で、AはBに勝るという意味で、Aの勝利を強調したい感じである。
大败:被动态,强调的是B被A打败了,语气上侧重于B输的惨状。
「大败」は受動態で、BはAに負かされるという意味で、Bの失敗を強調したい感じである。
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火锅的发展亦如同餐饮史的发展是渐进式的,完全是依据当时的器皿、社会的需求与原物料的发现引进,而加以变化的。就像“花椒”在没传进中国前,怎会有麻辣锅?“辣椒”在未进入中国时,又怎么会有辣的调味出现呢?三国时代,魏文帝所提到的“五熟釜”,就是分有几格的锅,可以同时煮各种不同的食物,和现今的“鸳鸯锅”,可说是有异曲同工之妙。到了南北朝,“铜鼎”是最普遍的器皿,也就是现今的火锅。
火鍋は飲食の歴史と同じく徐々に今のように変わってきたのである。当時の容器、社会のニーズ、原材料の発見や輸入によって変化したものである。「山椒」が中国に入らなければ「麻辣鍋」(山椒の入ったピリ辛鍋)ができるわけがないし、「唐辛子」が中国に入らなければ、辛い調味料が生まれることもなかったのである。三国時代に魏文帝が言った「五熟釜」はいくつか仕切りの入っている鍋のことで同時に違う食べ物をゆでることができる。現在の「おしどり鍋」(辛い味と辛くない味のスープを真ん中で仕切った鍋で同時に味わうもの)と同じ役割を果たしている。南北朝になると、「銅鼎」は最も一般的に使われている容器となり、それが今の火鍋である。
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